暴走する資本主義 ロバート・B・ライシュ

暴走する資本主義
雨宮 寛 今井 章子
4492443517

【CFOならこう読む】

「ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」、「勝者の代償」の著者で、クリントン政権で労働長官も務め、また現在はオバマの政策アドバイザーを務めるロバート・B・ライシュの新刊「暴走する資本主義」(Supercapitalism)を読みました。彼の本はいつも、我々に、全く新しい視点を提供してくれるのですが、今回はさらに頭をぶん殴られたようなショックを受けました。

帯から本のさわりを紹介します。

「1970年代以降、資本主義の暴走、つまり超資本主義と呼ばれる状況が生まれたが、この変革の過程で、消費者および投資家としての私たちの力は強くなった。消費者や投資家として、人々はますます多くの選択肢を持ち、ますます「お買い得な」商品や投資対象が得られるようになった。
しかしその一方で、公共の利益を追求するという市民としての私たちの力は格段に弱くなってしまった。労働組合も監督官庁の力も弱くなり、激しくなる一方の競走に明け暮れて企業ステーツマンはいなくなった。民主主義の実行に重要な役割を果たすはずの政治の世界にも、資本主義のルールが入り込んでしまい、政治はもはや人々のほうでなく、献金してくれる企業のほうを向くようになった。
私たちは「消費者」や「投資家」だけでいられるのではない。日々の生活の糧を得るために汗する「労働者」でもあり、そして、よりよき社会を作っていく責務を担う「市民」でもある。現在進行している超資本主義では、市民や労働者がないがしろにされ、民主主義が機能しなくなっていることが問題である。
私たちは、この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義より強いものにしていかなくてはならない。個別の企業をやり玉に上げるような運動で満足するのではなく、現在の資本主義のルールそのものを変えていく必要がある。そして「消費者としての私たち」、「投資家としての私たち」の利益が減ずることになろうとも、それを決断していかなければならない。その方法でしか、真の一歩を踏み出すことはできない。」

ところで、本の中に次のようなくだりがあります。

「1980年代以降、やる気がある優秀な米国の若い男女が、投資銀行や金融サービス会社、ヘッジファンドやプライベート。エクイティ・ファンドに就職するために、あるいは大企業でCFO(最高財務責任者)になるために、有名ビジネススクールへと駆り立てられたのも、彼らの「貪欲さ」が理由ではない。企業財務という不毛な分野に膨大な知的エネルギーをつぎ込ませたのも、気前のよいストックオプションやボーナスによって経営者の給料を株価に連動させたのも、貪欲さではなかった。」

この「企業財務という不毛な分野」という記述は大いに気にいりません。不毛な企業はあったとしても不毛な職能はないはずです。それは不毛な人間がいたとしても不毛な臓器というものがないのと同じことです。