企業価値研究会の「買収防衛策のあり方」に関する報告書のポイント その2

買収防衛策の発動、保身目的に警鐘 経産省研究会

経済産業省の企業価値研究会(座長・神田秀樹東大大学院教授)は11日、敵対的買収防衛策のあり方に関する報告書をまとめた。買収者と経営者の対話を促すのが防衛策の本来の役割との見解を強調。要件を厳しくし、経営者が自らの立場を守ろうとするような発動に警鐘を鳴らした。すでに防衛策を導入している企業は修正を迫られる可能性がある。
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20080611AT3S1102911062008.html

【CFOならこう読む】

「買収防衛策のあり方」に関する報告書がまだ入手できていないので、今日も新聞記事から得られる情報に基づいて書いてみます。

修正前の企業価値報告書は、「企業価値を損ねる敵対的買収を排除し、企業価値を向上する敵対的買収には機能しないような防衛策」のルール作りを目指してまとめられました。そうすると「企業価値」を明確に定義し、かつそれが測定可能なものでなければ、ルールになり得ないはずです。ところが、修正前企業価値報告書は、「企業価値」を、「会社の財産、収益力、安定性、効率性、成長力等株主の利益に資する会社の属性又はその程度をいう。換言すると、会社が生み出す将来の収益の合計のことであり、株主に帰属する株主価値とステークホルダーなどに帰属する価値に分配される。」というように、何とも曖昧に説明をしています。この曖昧な定義が現在の買収防衛策を巡る混乱の元凶であると、私は思っています。

企業価値というのは、コーポレートファイナンスという学問で研究されている領域です。ならば「企業価値」という用語を使うのなら、経済学における定義を無視することはできないはずです。

コーポレートファイナンスにおいて、

「企業価値」とは、「将来キャッシュフローの現在価値の総和」

と定義されます。そして、これは市場で日々評価されるという意味で、

「企業価値」=有利子負債の価値+株式価値

と言い換えることができます。

今日の新聞記事によると、新しい報告書は、「企業価値と株主利益は同義で「キャッシュフロー割引現在価値」を指す」としているようなので、この点では大きな改善が見られたと言って良いように思います。

ところがそれで万事解決というわけにはいきません。
日本では「企業価値」をコーポレートファイナンス的に正しく理解している人が極めて少ないのです。

下に載せているのは、北尾さんと佐山さんの対談の抜粋です。
この2人は皆さんもご承知の通り、M&Aの分野における第1人者ですが、2人の「企業価値」談義が私にはどうにも理解できないのです。

具体的に指摘します。

佐山 経営学者は「株式の価値プラス有利子負債の価値の合計」を示す「エンタープライズバリュー」という言葉をよく「企業価値」と訳しますが、その定義では、資本がすべて借り入れの会社と、すべて自己資本の会社の企業価値が同じになってしまう。

経営学者ではなく、経済学者の間違いじゃないかという点はさておき、法人税下のMM理論では、100%負債の会社の「企業価値」は、100%資本の「企業価値」より節税効果の分だけ大きくなると説明されますし、また倒産コストを考慮することによっても両者の価値は異なります。そしてこれらの要素を織り込んだ上で、資本市場は価格付けを行うので、少なくとも理論的には、デットレシオは株価に影響を与えると言えます。

北尾 ROE(自己資本利益率)を上げ、企業価値を増加したいといって、安易に自社株買いをやる。

コーポレートファイナンスでは、自社株買いはROEを上昇させはするが、「企業価値」には無関連であると説明されます(ただし資本構成の変化の影響は受けます。これをリキャップといいます)。

わずかなキャッシュフローをひねり出すために、R&D(企業の研究・開発部門)を切ろうとしたり、設備投資をやめようとする。1990年代の日本企業はこのような手段ばかりを選択しましたが、このやり方はほんとうに正しいのか。

「企業価値」は「将来キャッシュフローの現在価値」です。今、わずなかキャッシュを捻り出すために、将来キャッシュフローを犠牲にすれば、「企業価値」は毀損します。

以上は教科書的な議論です。でも「教科書」を理解していなければ「企業価値」を理解できないのも事実なのです。

「企業価値」はとても難しい。

だから私は全て割り切って「株主価値」で判断することにしたら良いと思うのです(結論としては佐山さんと同じなのかも知れません)。「株主価値」なら「株価」で測れるので、解釈の余地がありません。

提言:「企業価値研究会」改め「株主価値研究会」としよう!!

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M&Aで強くなる日本経済(1)/北尾吉孝(SBIホールデイングスCEO)、佐山展生(一ツ橋大学院国際企業戦略研究科教授、GCAサヴィアングループ取締役)

北尾 「企業価値」の判断基準というのはとても重要な論点ですね。

佐山 経営学者は「株式の価値プラス有利子負債の価値の合計」を示す「エンタープライズバリュー」という言葉をよく「企業価値」と訳しますが、その定義では、資本がすべて借り入れの会社と、すべて自己資本の会社の企業価値が同じになってしまう。

どう考えてもこれは誤訳だから、「それぞれの立場にとっての企業価値があるけれど、M&Aの世界ではいろいろな立場の人にとっての企業価値のかなりの部分を内包している全株式の価値を『企業価値』とするのが分かりやすいと思う」と提案しましたが、皆さんの賛同を得ることはできませんでした。「企業価値研究会」ですら、「企業価値とは」というコンセンサスを得ることができなかったのです。

面白かったのは1年後に新しく研究会に入った方が、「ここでいう企業価値とは何ですか?」と同じ質問をされた。そうしたらある弁護士が、「『企業価値とは』なんて神学論争はやめましょう」といわれた。「企業価値」が「神学論争」扱いにされてしまっているんです。

北尾 私も2005年に『進化し続ける経営』という本を上梓しましたが、そのなかでアメリカのビジネススクールが教える「エンタープライズバリュー」を「企業価値」とする見方に反対しました。この定義は事業経営者から見て間違いだ、と思ったのです。たとえばROE(自己資本利益率)を上げ、企業価値を増加したいといって、安易に自社株買いをやる。わずかなキャッシュフローをひねり出すために、R&D(企業の研究・開発部門)を切ろうとしたり、設備投資をやめようとする。1990年代の日本企業はこのような手段ばかりを選択しましたが、このやり方はほんとうに正しいのか。『進化し続ける経営』では次のような定義を行ないました。「企業」が提供する財・サービスに対して顧客がもたらしてくれる価値。これを「顧客価値」とする。株式の時価総額と負債の時価総額の和、つまり将来受け取りが予想されるフリー・キャッシュフローの現在価値を「株主にとっての価値」とする。さらには企業の差別化や創造を生み出す源泉である人材を「人材価値」とする。この3つの価値の総和を「企業価値」とすべきではないか、と。

顧客価値を高めるためには、よい商品・サービスを提供しなければならない。そうすれば企業の利益が増えて「株主価値」が上がり、待遇も良くなる。

佐山 優秀な人材も集まりますね。

北尾 そう、人材が揃えばまたよい商品が生まれる。好循環が生まれるのです。
(本記事は「SBIマネーワールド」内における対談企画を元に構成しています。)

【リンク】

「M&Aで強くなる日本経済(1)/北尾吉孝(SBIホールデイングスCEO)、佐山展生(一ツ橋大学院国際企業戦略研究科教授、GCAサヴィアングループ取締役)」
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20080521-01-1401.html