村上春樹氏のスピーチ全文を読んで思う。効率至上主義は悪か?

スペイン北東部のカタルーニャ自治州政府は9日、人文科学分野で功績のある人物に贈るカタルーニャ国際賞を作家、村上春樹さんに授与した。バルセロナの自治州政府庁舎での受賞スピーチで村上さんは、東日本大震災と福島第1原子力発電所の事故に触れ、原爆の惨禍を経験した日本人は「核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」と述べた。
(日本経済新聞夕刊2011年6月10日14面)

【CFOならこう読む】

早速、スピーチ全文を読んでみました。

「村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)」毎日.jp
「村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)」毎日.jp

スピーチは英語でもスペイン語でもなく、日本語で行われました。本当に素晴らしいスピーチで、言っていることすべてについて深く共感できます。ただし大震災や原発の問題から離れ、一般論としてスピーチを読み直すと引っかかるところがあります。

「急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
(中略)
我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。」

「効率」を追求するのはいけないことなのでしょうか?そうだとすると、希少な資源を有効利用することでとことんまで「効率」を追求する資本主義というシステムも否定されることにならないでしょうか?

ムダを省き、リーンな生産方式を追求したジャストインタイム方式は間違いだったのでしょうか?ROEの向上を目指し、地道な努力を重ねる会社や経営者の姿勢は否定されるのでしょうか?

いうまでもなく答えは否です。このブログの読者にいまさらその理由を説明する必要はないと思います。

しかし村上さんの言う通り、「効率」追求のために生命や安全が失われることがあってはなりません。われわれは、資本主義というシステムを採用することで、この優先順位を間違えることがあってはならないのです。

私はいま「信託法」を勉強しています。「信託法」の権威、四宮和夫さんは、「信託は信認関係である」と言っています。

そしておそらく真剣に「信託法」を勉強されている岩井克人さんは、信認(岩井さんは信任と言っていますが、四宮さんに従い信認と言います)を、「他の人のために一定の仕事を行うことを信頼によって任されていること」と定義した上で、相手への依存を基軸とした信頼関係がその横にあるような市民社会、これこそが21世紀われわれが目指すべき方向だと言っています。

そして信認関係においては、依存される側の高い倫理性が要求されるので、司法を中心とした国家の介入が不可欠であると説くのです。
「もちろん信認された側の倫理観、とくにその職業倫理に任せるのがもっとも望ましい。そして、現に職業倫理の存在は信認関係を成立させるうえで大きな役割を果たしてきている。

ただ不幸にも、倫理観とは希少な資源であり、万人が共有しているわけではない。そして、信認関係に依存しなければならない人間は、それが濫用されたとき、まったく無抵抗な存在になってしまうのである。それゆえ、信認関係は法律によって厳格に規制される必要があるのである」(二十一世紀の資本主義論 「契約と信任ー市民社会の再定義」)

いま「効率」的な経営を否定されたら、多くの経営者は途方に暮れてしまいます。重要なことは、経営者は、株主やステークホルダーや消費者からの信認に高い倫理性をもって応えること、これを担保するために厳格な規制を設けること、

そして、国家の安全にかかわる重要な事柄については、民間に任せるのではなく、国家が国民からの信認を受けた上で責任をもってこれを遂行すること、だと思います。

岩井さんの論稿は次のように締めくくっています。

「グローバル化の名の下に国家の黄昏が語られている現在、日本社会の市民社会に向けた改革のためには、逆説的だが、市民と国家の相互依存関係を今一度確認することが必要なのである」

1998年に書かれたこの文章が、現在の日本においてもそのままあてはまります。

【リンク】

「村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(上)」毎日.jp
「村上春樹さん:カタルーニャ国際賞スピーチ原稿全文(下)」毎日.jp