The Myth of Japan’s Failure(日本の失敗という神話)

日本が無用の存在になるようことはないと、アイルランドのジャーナリスト、エーモン・フィングルトン氏は言う。同氏は最近、米紙ニューヨーク・タイムズに「The Myth of Japan’s Failure(日本の失敗という神話)」と題した論説を寄稿した。失敗どころか日本は世界が模倣すべきモデルだという同氏の説があまりに大きな反響を呼んだため、ノーベル経済学賞受賞者でNYT紙コラムニストのポール・クルーグマン教授は反論を展開した。同教授はアジア第2の経済国日本にはほとんど魅力を感じていない。これにフィングルトン氏が再反論した。
(ブルームバーグ2012年1月27日コラムーウィリアム・ペセック)

【CFOならこう読む】

“The Myth of Japan’s Failure”は、Webで読むことができます。
http://www.nytimes.com/2012/01/08/opinion/sunday/the-true-story-of-japans-economic-success.html?pagewanted=1&_r=4

フィングルトン氏は、日本の良いところを次のように述べています。

「信じられないほど安全で清潔、効率的で確実性が高く、外国人には驚きの尽きない場所だ。結構平等主義の国であり、生活水準は世界でも最高水準で、平均寿命は世界最長。どこへ行ってもインフラは整っている。さらに、日本料理は世界一だ。」
(前掲コラム)

これに対し、クルーグマン氏は次のように反論しています。

「日本の成長を生み出しているのはただ、世界最大の政府の借金と中央銀行が供給するコストゼロのマネーだ。日本株式会社を生かしているのはその活力ではなく、経済のステロイドだとクルーグマン教授は論じる。日本には大規模な規制緩和と女性の労働力の活用、移民の受け入れなどが必要だが、日本の政治家はそのいずれもしていない。」(前掲コラム)

クルーグマン氏が言うことはもっともですが、規制緩和をし、移民の受け入れを進めれば日本企業が活力を取り戻すということもないでしょう。

日本株式会社はいかに生きるべきであるか。この質問は、日本という国がグローバル企業にとってバリューチェーンのどの部分を引き受けるのが相応しいのか、という質問に言い換えることが可能だと思います。

その答えを、フィングルトン氏の日本分析の中に見出せないでしょうか。インフラが整い、文化的な生活ができる日本。この部分は少なくともアジアではトップレベルでしょう。高度に文化的環境の中、創造的な活動を行う。マーケティングや研究開発はそういうアクティビティでしょう。

学術レベルが高く、街には芸術が溢れていて、美味しいものがいっぱい。日本が目指すべき方向性はそんなところではないでしょうか。そんなことを考えていたら、今日の新聞で「論文数、伸び悩む日本」という記事を見つけてがっかり。科学技術分野の研究で日本の凋落が著しい、という記事です。
(日本経済新聞2012年2月6日11面)

これは政治の責任だと私は思います。

既存政党もいわゆる「第三極」勢力も、日本の将来の向かうべき具体的な姿を明確に打ち出してもらいたいものです。

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