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‘コーポレートガバナンス’ カテゴリーのアーカイブ

持ち合い株式解消に向けた動き

2010 年 1 月 15 日 コメント 1 件

サントリーホールディングスと経営統合で大詰めの交渉を進めるキリンホールディングス。社長の加藤壹康はもう一つの仕事に取りかかった。「『金曜会』各社様との持ち合い株式を一部圧縮」。昨年秋、加藤の指示を受けた担当者は文書を手に駆け回った。金曜会はキリンを含む三菱グループ29社の会長・社長会。目的は保有するメンバー企業の株式、数百億円分の大半を3年で売却することだ。
(日本経済新聞2010年1月15日1面)

【CFOならこう読む】

「大和総研によると上場企業の株式持ち合い比率は2008年度で8.2%。バブル期の3割弱からは減ってきたが、ここ数年は下げ止まり。今回、解消へ企業の背中を押すのは競争環境の激変だ。利益を生まない資金を塩漬けにしたまま、圧倒的な低コスト体質を備える新興国企業とは戦えない。
(中略)
三菱商事は2009年3月期に保有株式の値下がりや不良債権の償却などで計1800億円の損失を計上。最高益予想からの暗転だった。昨年春CFOとして東京に戻った上田はすぐさま動いた。株式の取得・保有が金額的に十分な見返りを得ていないと判断すれば売却を促す新制度を採用。明確なモノサシで安易な株保有と決別する。対象となる上場企業株は1兆1000億円規模に達し、日本企業で最大級だ」(前掲紙)

むしろ、安易な株保有が許されてきたことに驚きます。これは「資本の無駄遣いは許されない」(前掲紙)

という感覚が、日本の経営者にずっとなかったことの証でもあります。

それは少なくともバブル前までは、日本企業の資金調達が間接金融中心であったことと無縁ではないと思います。カネは銀行から借りられる。だから経営者は金遣いのうまさを競う必要もなかったし、資本コストを考える必要もなかったのです。

1975年に出版された大前研一氏の「企業参謀」という本の中こんなことが書かれています。

”日本の経営者はPL偏重でバランスシートのほうはかなり乱暴に扱ってきたが、今後は金遣いのうまさの真価が問われることになるだろう。だからROCE(Rate of Return on Capital Employed)というような資本効率を測る経営指標が重要になる。資金調達難が慢性化していたアメリカやイギリスでROCEが非常に良く使われる指標になったのは偶然ではない”

日本の現代の問題の多くは、戦後作り上げた体制を現在も後生大事に維持し続けていることから生じています。安易な持ち合い株式も資本コストがゼロの時代に許された遺物であると、僕は思います。

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なし

社会起業

教育など社会的な問題への取り組みを、ビジネスと両立させようとする試みは、「社会起業」と呼ぶことが多い。国頼みの慈善活動と混同され、企業社会や資本市場から遠い存在と思われてきた。本当にそうだろうか。
(日本経済新聞2010年1月5日 17面一目均衡)

【CFOならこう読む】

「ダボス会議で知られる世界経済フォーラムは昨年末、「社会起業」をテーマに議論を交わしている。短期の収益を求める金融資本主義は、自壊した。代替するパラダイムは何か。慈善とビジネスを両立させようとする社会起業家が、重要な役割を担うかもしれない、という問題意識だ」

僕は会社は国富の創造のために存在すると考えています。このことはこのブログで何度もお話ししています(例えば「会社は誰のために存在するか?」)。

だとすると新たな企業を起こす場合、社会にどのような貢献が出来るかが問われなければなりません。「ベンチャー投資に社会性を重視する考え方」が広がるのは当然と言えます。

資本主義と「社会起業」や「慈善」が対極に存在するという考え方が、そもそも間違っていると僕は思うのですが、一般の理解はそうではないのですね。

最近、映画「アバター」を見ました。カネのために宇宙にまで出かけて行って自然を破壊する地球人と言う名のエイリアンと闘う話です。

この地球人の行動原理は、「株主のため」であるのですが、こういう紋切り型の言い回しが、本質的な理解を阻害するのだと映画を見ていて思いました。

映画自体は「エイリアン2」を凌ぐ素晴らしい出来映えでしたが・・・。

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なし

企業の目的は顧客創造-ドラッカー

・「企業の目的は利益追求」と決めつけるな
・利益以外の目的掲げ、チェックを怠るな
・成長機会、見つけるのではなく自らつくれ

(日本経済新聞2009年12月30 日23面 経済教室)

【CFOならこう読む】

これだけ的外れなことを言えるのは実社会を知らないからなのでしょうか?

「バブル崩壊以降、投資家志向の会社統治制度の改革が行われ、上場企業の経営者は、熱心に利益を追求せざるをえなくなったが、その結果、かえって利益は得られなくなった」(前掲稿)

そうではないでしょう。

戦後焼け野原からスタートした日本にとって最も重要であったの は、日本人が皆食って行くこと、すなわち雇用の確保でした。この大命題のもと政官財一体となり見事な経済復興を遂げたのです。

そこでの企業の目的は、社員の胃袋を満たすことにあったのです。当時の日本企業の姿は例えばこんなものでした。

「日本企業は平均して総資産の80%にも及び額を銀行から借り入れている。しかもこのうちかなりの部分が低金利のいわゆる短期もので、3ヶ月なり6ヶ月ご とにレートを変えてゆく。
したがって、名目上は短期借入金なのだが、実際には、設備投資などに回したりして長期借入金的挙動をするものも少なくなく、さらにいえば、資金がだぶついたからといって、簡単に銀行に返済するなどというわけにもゆかぬしろものである」
(「企業参謀」(大前研一著 プレジデント社))

銀行は大蔵省の出先機関のようなものでしたから、企業は低コストの資金を容易に調達することが出来ました。

そんな時代に株主資本コストを云々する必要はありませんでした。

このような戦後の日本経済の仕組みは成長が止まるとともに徐々に綻び始め、バブル崩壊とともに立ち行かなくなったのです。

大きなパラダイムシフトが起きました。

ところがバブル崩壊から日本人はパラダイムシフトにうまく適応できていません。

日本を代表する経営学者にして、「投資家志向の会社統治制度の改革が行われ、上場企業の経営者は熱心に利益を追求せざるをえなくなった」そしてそれが「日本企業を大きく痛めつけてしまった」という程度の認識です。

派遣の問題にしても、銀行の貸し渋りの問題にしても、企業統治の問題にしても、パラダイムシフトから生じているのです。決して小泉・竹中に責任をなすりつけて済むような問題ではありません。

日本企業が「顧客の創造」を最重視しなければならないという点については異論はありません。

「顧客の創造」とは、「企業は、自分たちが何を売りたいかよりも、まずお客様が何を求めているかを考え、お客様にとって付加価値のある商品を提供すべきである、ということを意味している。洋服屋は質の高い洋服を売り、青果店は安くて新鮮な野菜や果物を売る。それぞれの事業を通じて、社会や人に貢献するからこそ、企業はその存在が許されているのだ」(「成功は1日で 捨て去れ」(柳井正著 新潮社))

つまり「顧客の創造」ができない「企業」や「企業人」はそこから退出せざるをえないのです。

ところが日本という国は「退出」して再度「参入」するということが容易にできません。
これも「雇用の維持」が大命題だった時代から転換できていないため生じている大きな問題です。

資金調達についても事情は大きく変わっています。銀行がリスクマネーを提供できない以上、資金は市場から調達するしかありません。資本のコストはただではありません。資本コストを賄うだけの利益を生まない企業は存続できないのです。

「市場」や「利益」が何より重要だと言っているのではありません。パラダイム変換が起きているにも関わらず、今までのようにこれらを軽視し続けることはできないと言いたいのです。

米国の投資家資本主義の時代の失敗を、今の日本で強調する意義はほとんどないと私は考えています。

むしろ「利益」や「株主価値」の重要性を訴え、ヒト、モノ、カネが自由に動く社会を構築することに繋げる方がよほど大切だと思っています。

いずれにしても、このブログで応援しているCFOは難しい局面に立っていることは間違いありません。どちらを向いて仕事をすれば良いか迷っている方も多くいらっしゃ ると思います。

多くのCFOと悩みを共有し、共に解決策を探りたい、そんな思いでカンファレンスの開催を思い立ちました。

今年は諸々の事情で開催を見送りましたが、来年2月25日に開催しようと現在準備を進めています。

テーマも大きく変更し、「日本企業におけるCFOの仕事とは?」とする予定です。
詳細については現在詰めているところですが、ご意見・ご要望・アイディア等があればお知らせください。

ブログの更新は今年はこれで終わりにします。
新年は1月4日からスタートします。

それでは皆様良いお年を!!

【リンク】

なし

強欲資本主義と民主主義2005年から2009年までの上場廃止企業は609社

帝国データバンクは17日、2009年の上場廃止企業数が戦後最多の163社に上ったとの調査結果を発表した。理由の多くは親会社による完全子会社化や第三者によるM&Aなどで、経営環境の変化に伴って事業再編を進める企業が多かった。
(日本経済新聞2009年12月18日4面)

【CFOならこう読む】

2005年から2009年までの上場廃止企業は609社。うち2009年が163社で戦後最多とのことです。

「市場別 にみると、「東証1部」の208社が最高で、以下「ジャスダック」の177社、「東証2部」の89社が続く」(帝国データバンク 上場廃止企業実態調査 )

「上場廃止理由では、「完全子会社化」が369社と突出し最多となった。以下、「株式の全部取得」の100社と続く」(前掲レポート)

やはり時代は親子上場解消の方向に向かっているのですね。

【リンク】

「特別企画:2009 年上場廃止企業実態調査」帝国データバンク[PDF]

強欲資本主義と民主主義

2009 年 12 月 17 日 コメント 2 件

映画監督マイケル・ムーア氏が、ドキュメンタリーの新作で、今日の米国の資本主義を検証した。ムーア氏は「強欲」を省みて、立ち返るべきは民主主義の理念だと主張する。
(日本経済新聞夕刊2009年12月16日16面)

【CFOならこう読む】

立ち返るべきは米国建国以来の理念、「自由と平等」を尊ぶ「民主主義」だとムーア氏は言う。

資本主義に懐疑的な発言をすると、米国ではすぐに「では、君は社会主義なんだね」という反応が返ってくる。だが、富を一部の人で独占すべきではないのかと思うか。だれもが同じテーブルにつき平等に発言する権利を持つべきだと思うか。社会の仕組みから脱却した人々にセーフティーネットが必要だと思うか。そのすべての質問にイエスと答えるのは、社会主義というより民主主義の理念だと僕は信じている。

僕は不平等の行き着く先が恐い。米国の貧しい人々は今怒っている。爆発して革命なんてことになったら困る。映画の中にもサブプライムローンの破綻で自宅から強制退去させられ、怒っている家族が登場するが、彼らは銃を隠し持っていた。僕はあの銃が永久に使われず、しまわれたままでいてほしい。そのために世の中の1%じゃなく、大多数の人が安心して生活できる民主主義的な政策を国が打ち出すべきだと訴えている。
(前掲紙)

米国は現在の体制を民主的に選択しており、にも関わらず重要なのは「資本主義」ではなく「民主主義」であるという主張は具体性に欠けると思います。

先日のエントリー12月15日”ユニクロがデフレの元凶なのか?”の中で、ロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」(Supercapitalism)の一節をご紹介しました。

「私たちは「消費者」や「投資家」だけでいられるのではない。日々の生活の糧を得るために汗する「労働者」でもあり、そして、よりよき社会を作っていく責務を担う「市民」でもある。現在進行している超資本主義では、市民や労働者がないがしろにされ、民主主義が機能しなくなっていることが問題である。」

重要なのは相対的にないがしろにされている「市民」の復権でしょう。岩井克人氏の「資本主義から市民主義へ」(新書館)はまさにそこをテーマにしています。

「ぼくはいま市民社会論に足を突っ込み始めているのですが、そのためにはまず最初に資本主義の枠組みのなか、私的所有権の世界のなかでどれだけ言えるのかを確定する必要があると思って、それで、会社の二重構造論から、株主主権論を批判し、経営者について信任論を展開し、ポスト産業資本主義における利潤の源泉がヒトであるという議論を提示してみたわけです。このような議論は、すべて資本主義の枠組みのなかでここまでは言えるということをやっているわけです。

たとえば、ポスト産業資本主義におけるヒトの役割の重要性を強調している場合でも、それは、心優しく従業員のためを思うヒューマニスティックな経営者がいいんだというような議論を展開しているわけではありません。あくまでも、ヒトを重視しなければ、会社はポスト産業資本主義のなかの競争で負けてしまうと言っているだけです。

ただ、一歩、社会的責任論に足を踏み入れると、単純な私的所有論の枠組みをちょっとはずれてきます。ぼくの市民社会論は市民社会の定義がまだはっきりしていないんだけど、現在のところとりあえず、市民社会とは資本主義にも還元できなければ国家にも還元できない人間と人間の関係であると定義しています。資本主義的な意味での自己利益を追求する以上の、何か別の目的をもって行動し、国家の一員として当然果たさなければならない責任以上の責任を感じて行動する人間の社会だということです。それが社会的責任だと思います。」

国家へ依存するのではなく主体性がある分だけ、僕は岩井さんの主張に賛同できます。

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ユニクロがデフレの元凶なのか?

列島が極度の消費不振に陥る中、「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングの健闘ぶりが目立つ。だが、目を凝らせばファーストリテイリングに続く潜在力を秘めた小売企業はあるはずだ。
(日経ヴェリタス2009年12月13日1面)

【CFOならこう読む】

「個人消費の変化を象徴する逆転劇が11月11日の東京株式市場で起きた。ファーストリテイリングの株式時価総額が1兆7947億円と、セブン&アイ・ホールディングスを300億円近く上回り、小売株のトップに浮上したのだ。
(中略)
ファーストリテイリングとそれ以外の企業には決定的な違いがある。ボストンコンサルティンググループの森健太郎パートナー&マネージング・ディレクターは「商品開発、店舗形態、組織、多角化など至る所で成長の種をまき続けてきたのがファーストリテイリング」と指摘する」(前掲紙)

文藝春秋の新年号で、「ユニクロ型デフレで日本は沈む」という対談が行われています。その中で次のような議論が行われています。

「小泉改革は規制緩和を進め、市場原理主義を進め、日本にグローバル・スタンダード主義を持ち込みました。その結果、日本はかつてなく競争の激しい社会になりました。
その過程で起こったことは、すべてデフレに直結しています。安い労働力を求めて海外に生産拠点を移せば、失業者が増えます。失業しないまでも、日本の労働者は外国の安い労働力と競合関係に入りますから、賃金は増えない。また、企業はコスト削減と柔軟な生産調整を実現すべく、正規雇用を非正規雇用に切り替えて行く。それが雇用の不安定化と低賃金化にますます拍車をかける。低賃金に甘んじざるを得ない労働者たちは、安物買いを強いられる。こうして低賃金と低価格の下方への循環が定着することになってしまった。
ユニクロもデザインと品質管理を日本で統括していますが、生産は中国などでしているので、あれだけ安くできる。だから、この10年のデフレは「ユニクロ型デフレ」とでも呼びたいですね」

このように語るのは、浜矩子氏です。氏は文藝春秋10月号で「ユニクロ栄えて国滅ぶ」を寄稿しています。柳井社長はこの論稿に対し、「反論にも値しないと思いますね。日本もグローバル化していて、その一員であるという視点が抜けている」とコメントしたそうですが、全く柳内社長の言う通りだと思います。

事象を一面からしか捉えられていないので、このような些末な議論になってしまうのでしょう。

この点、ザ・ワーク・オブ・ネーションズ」、「勝者の代償」の著者で、クリントン政権で労働長官も務め、また現在はオバマの政策アドバイザーを務めるロバート・B・ライシュの「暴走する資本主義」(Supercapitalism)は本質をついた議論をしています。

「1970年代以降、資本主義の暴走、つまり超資本主義と呼ばれる状況が生まれたが、この変革の過程で、消費者および投資家としての私たちの力は強くなった。消費者や投資家として、人々はますます多くの選択肢を持ち、ますます「お買い得な」商品や投資対象が得られるようになった。
しかしその一方で、公共の利益を追求するという市民としての私たちの力は格段に弱くなってしまった。労働組合も監督官庁の力も弱くなり、激しくなる一方の競走に明け暮れて企業ステーツマンはいなくなった。民主主義の実行に重要な役割を果たすはずの政治の世界にも、資本主義のルールが入り込んでしまい、政治はもはや人々のほうでなく、献金してくれる企業のほうを向くようになった。
私たちは「消費者」や「投資家」だけでいられるのではない。日々の生活の糧を得るために汗する「労働者」でもあり、そして、よりよき社会を作っていく責務を担う「市民」でもある。現在進行している超資本主義では、市民や労働者がないがしろにされ、民主主義が機能しなくなっていることが問題である。
私たちは、この超資本主義のもたらす社会的な負の面を克服し、民主主義より強いものにしていかなくてはならない。個別の企業をやり玉に上げるような運動で満足するのではなく、現在の資本主義のルールそのものを変えていく必要がある。そして「消費者としての私たち」、「投資家としての私たち」の利益が減ずることになろうとも、それを決断していかなければならない。その方法でしか、真の一歩を踏み出すことはできない。」

つまり特定の企業を悪者にすれば解決するような話では全くないのです。
「消費者」の立場から見るか、「市民」の立場から見るかによって結論は全く変わるのですから。
日経ヴェリタスの1面の見出しは「出でよ、次のユニクロ」です。
「投資家」の立場からは当然こうなります。

民主主義の復権と言っても、国にできることは限られています。
また、企業行動に多くの制約をつけられる国家からは有力な企業は逃げ出すに決まっています。

重要なのは雇用です、日本人が食っていくためには、グローバルな競争の中で日本人に優位性がなければなりません。企業は今後ますます無国籍化していきます。

われわれ日本人は日本人としての強みを磨き、世界中の企業に価値を認めてもらわなければなりません。
そのために国が、企業が、そして私たちひとりひとりが今何をすべきか考えなければいけません。

暴走する資本主義
暴走する資本主義 雨宮 寛

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stars労働者を苦しめる消費者と投資家は結局自分自身
stars消費者・投資家主権の罠
stars派遣社員は資本主義社会の犠牲者か?

終身雇用制度瓦解

2009 年 12 月 10 日 コメント 2 件

「年金制度改定が実現しなければ、公的資金の融資が受けられず、会社が法的整理に至る可能性が高まります。その場合、基金の解散に至る可能性も高まります」11月末、日本航空の企業年金の受給者の手元に基金から文書が送られてきた。年金の減額に加え、受給者の権利として認められている一時金での受け取りを選択しないよう依頼する趣旨だ。」
(日本経済新聞2009年12月10日15面)

【CFOならこう読む】

終身雇用と年功序列賃金制度、そして確定給付型の企業年金、これらはすべて高度経済成長下においてのみ成立するものです。

そして賃金の後払いである年金制度は、給与の支払を先送りするものですから、その制度は会社の成長が止まったところで破綻するに決まっているのです。

終身雇用制度と年功序列賃金制度を維持するために、多くの企業は子会社で定年まで働けるような仕組みを作っているのです。公務員の場合はこの部分を天下りで賄っているわけです。

この点、浅田次郎氏の新著「ハッピー・リタイアメント」は明快に語ってくれています。

「バカだね、君は。何もわかっとらんじゃないか。では君のためにもう少し平たく言おう。日本の職場は終身雇用が原則だ。しかし一方では、年功序列による累進も一応の原則だ。前者は伝統、後者は近代軍制から発展した社会制度、どちらもおろそかにできないのだけれど、この二つの原則は論理的に矛盾する」

-ごもっともです。で?
「つまりこの二大原則をともに実行するためには、三角形と四角形が実は同じ形であるという、超幾何学が必要となる」

(中略)

-問題は終身雇用制ですね。年功序列の出世とこれは明らかに矛盾します。三角形と四角形が同一であるという、超幾何学です。
「三角形の組織論はナポレオン時代の軍制によって確立した。戦争という具体的な目標に向けて最も有効に機能する組織はこれしかない。産業革命以後の競争社会においては役所も会社も一種の先頭能力が必要だから、命令が伝達しやすく、かつ各セクションが当面の事案に対応しやすい三角形の組織に改変された。しかし、こと日本に限らず、もともと軍制であるこの三角形を非軍事面に採用するには矛盾があった。役人や会社員は死なないのだ」

(中略)

-そんな矛盾を承知で、どうして民間や会社や官庁が三角形を採用したのでしょう。
「そりゃ君、産業革命以降しばらくの間、少なくとも第二次大戦が終わるまで、資本主義社会は膨張し続けていたからな。資本主義とは企業そのものであり、ひいては国家そのものだ。国家が膨張し、企業がともに拡大の一途をたどっていれば、つまり三角形のサイズそのものが大きくなってゆくわけだから、あるいは三角形がたくさん派生してゆくわけだから、人的な問題は何も起きんだろう」

-何だかねずみ講を連想しますけど。

(中略)

-大企業ほど終身雇用率が高くなる。アレ? でも大きな三角形はその問題をどうやって解決するんでしょうか?
「最も有効な手段は、余剰人員を子会社に出向させることだな。年功序列で上が詰まれば、子会社に横滑りさせればいい。それで本社のピラミッドは維持される。人材が必要になれば呼び戻すこともできる」

(中略)

-わかりました。役所にはそれができないんだ。
「その通り。しかもどんな大企業にもまさる人的規模を持ち、安定度から言っても待遇面からしても、全員が終身雇用を希望する職場が役所なのだ。きれいな三角形を作りたくても、人間が減ってくれない。戦死もせず、中途退職者もなく、子会社に出すこともできぬとなれば、下界に天下ってもらうほかはなかろう」

浅田次郎著「ハッピー・リタイアメント」幻冬舎刊

多くのM&Aや法的処理は、この矛盾を解消できないままどうにもならなくなって行われるのです。この矛盾は公的資金や財政出動で解消されるものではありません。

重要なのは、ないものを創る力とそれを支えるインフラです。

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吉野文六 「沖縄密約」認める

1972年の沖縄返還を巡り、日米両政府が交わしたとされる密約文書の存否が争われている訴訟の第4回口頭弁論が1日、東京地裁(杉原則彦裁判長)で開かれ、吉野文六・元外務省アメリカ局長(91)が証人として出廷した。当時の日本政府の交渉担当者だった吉野氏は日本政府がこれまで否定してきた密約の存在を法廷で初めて認めた。
(日本経済新聞2009年12月02日1面)

【CFOならこう読む】

今年読んだ小説の中では、山崎豊子の「運命の人」が圧倒的に面白かった。

この小説は、「沖縄密約」の報道を巡り毎日新聞の新聞記者(西山氏)が国家権力の手で世間から葬り去られる様を克明に描いており、私はこれを日本国の政官およびマスコミの癒着の物語として読みました。

「法廷では、原告の元毎日新聞記者、西山太吉氏(78)と吉野氏が再会を果たした。西山氏の判事裁判、吉野氏が出廷して以来、37年ぶり。主尋問終了後、吉野氏が西山氏に近づき、笑顔で握手。静かになったら2人で会う約束をしたという。」
(日本経済新聞2009年12月02日34面)

これが「運命の人」のエンディングであったなら、小説の読後感は大分違ったものになったでしょう。

今年の流行語大賞は”政権交代”に決まりましたが、個人的には”脱官僚!?”です。

それにしても、沈まぬ太陽の映画化、不毛地帯のドラマ化と合わせて今年は山崎豊子さんの年でした。

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第三者割当増資ー割当先など詳細開示へ

金融庁は投資家保護の一環として、第三者割当増資に踏み切る企業の情報開示規制を強化する。特定のファンドなどに新株を発行する第三者割当増資の透明性を高めるため、資金の出してや調達資金の使途などの詳細な開示を義務付ける。あいまいさの残る新株発行で、既存の株主が不利益を被らないようにすべきだと判断した。来年2月からの導入を目指す。
(日本経済新聞社2009年11月22日1面)

CFOならこう読む】

具体的には、有価証券届出書の中で以下の点について記載内容の拡充が求められるようになります。

1.SPC等投資ビークルの先にある実質的な投資家の情報開示を行う
2.割当先が反社会勢力に関係していないかどうかについて事前調査を義務づけ、どのように確認したかを届出書に記入する
3.割当先が海外の場合には、日本国内の事務所の責任者や代理人となる弁護士の連絡先などを記載する
4.調達資金の使途を開示する

どれもこれも表面上取り繕うことは出来るもので、これで投資家保護に足りるとは思えません。複数のSPCや会社をからませ実質的な投資家がわからないようなストラクチャーの場合にはどうするのでしょうか?
実質的な投資家の定義を明確にした上、記載が不十分な場合には不受理とする位の姿勢で望まなければ実効性はないでしょう。

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日本の競争力 − 楽天 三木谷社長の意見

2009 年 10 月 29 日 コメント 1 件

−新政権に求めることは。「日本がもの作りだけでリードできる時代はもうすぐ終わる。米国の競争力の源泉は世界の頭脳を輸入している点にある。日本もいろんな人の知恵を集めて面白いサービスを作る枠組みを整えるべきだ。会計や商法などを国際基準に会わせる必要もある。」
(日本経済新聞2009年10月29日11面)

【CFOならこう読む】

ちょっと違う気がします。輸入したくても、閉鎖的な日本という国にどれだけの才能を集めることができるか、はなはだ疑問です。

米国にしろ中国にしろインドにしろ他にはない秀でた部分があるから多くの企業が出ていくのです。

日本が世界の頭脳を呼び込むのは、日本人が彼らにとって魅力的でなくてはできません。日本人にはポテンシャルがあるのに、それをうまくアピールできていないように思います。

日本がもの作りだけでリードできない、というのもミスリードを誘う表現です。確かに組み立て作業で生きていくのは難しいかも知れませんが、例えば研究開発という分野で生きていくことは十分に可能です。

会計や商法といったインフラは重要ですが、それが世界標準だからといって世界の頭脳を集められるわけではありません。

むしろ会計や商法は言語と同様その国の特性の一つを形作るもので、重要なことは他国との間の差異がきちんと示されていることだと思うのです(そのためにはコンバージェンスできる部分はしっかりやることが必要です)。

亀井静香金融担当相が、10月9日の会見で、IFRS導入に向けた金融庁の中間報告(任意適用は2010年3月から、強制適用は2012年をメドに決める)について、そんなことはやらないと言い放ちました。

「国々にはそれぞれの営みがある。会社経営も、それに合った形でやればいい話だ。今でも米国とか欧州はそうだろう。違うのはある面で仕方がないことだ。日本だってそう。日本の経営は、やはり日本の実態に合った形で、会計基準も適用していくべきだ。」
(週刊エコノミスト 2009年11月3日特大号)

はじめて亀井先生と意見が合いました(笑)。

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