何故企業統合は破綻するか?

桜咲くころは「別れと出会いの季節」といわれるが、経済界を見渡すと、今年は「出会い」よりも「別れ」の目立つ春である。ここで論じたいのは、企業統合やその破綻劇のことだ。「日本初の(初)のグローバル食品企業」と期待されたキリンホールディングスとサントリーホールディングスの統合は白紙に戻った。高島屋とエイチ・ツー・オーリテイリングの百貨店再編も頓挫した。
(日本経済新聞2010年4月13日15面)

【CFOならこう読む】

「日本企業にとって再編の原動力は何だろうか。あえて乱暴に言い切ってしまえば、「不況」だと思われる。景気悪化で業績が傾けば、危機感が募って再編機運が高まる。逆に景気が回復し始めると、潮が引くように再編への熱意が薄れ、白紙撤回が相次ぐのは現状が示す通りだ」(前掲紙)

全くもってその通りです。
ですがそれはどこから来ているのでしょう。

一言でいうとコーポレートガバナンスの欠如に起因しているのだと思います。

多くの日本企業の経営者は会社は自分のモノだと考えています。そして会社という村とその村人を守ることが一番の仕事であると信じているのです。

ですから村の勢力が弱くなるような企業統合には極めて消極的です。一方相手が弱っていて丸ごと自らの村に取り込めるような企業統合には積極的なのです。

「有無を言わさず企業に再編を迫る力が、日本では著しく弱い」(前掲紙)

どうすれば日本企業に有無も言わさず再編を迫れるか?政府や官僚にその仕事を委ねても彼らにそれだけの力はありません。

日本企業に再編を迫れるのは市場をおいて他にないと私は思います。

上場企業である限り、株価が下がれば、村長や村人がいかに抵抗しようとも、他者のコントロール下に入ることがあり得ることを当然の前提として法制度や市場ルールを再整備することが緊急の課題であると私は思います。

本日の日経新聞の経済教室で、上村達男教授が「公開会社法」について書いておられます。

「その理念とは、米国流の人民資本主義であり、市民が株主となって企業社会をコントロールするとともに、個人投資家を中心とした証券市場が一体となって機能するような構造、すなわち企業社会と市民社会の結節点としての証券市場を構想するものであった。
(中略)
今こそ、戦後改革の証券民主化の理念を呼び戻し、証券市場と一体の株式会社法制、および企業社会と市民社会の結節点としての証券市場を構想することで、60年遅れの戦後改革を断行し、日本の市民社会の再構築を展望するタイミングだと考えるべきでないか」(日本経済新聞2010年4月13日27面)

至極真っ当な意見です。

しかしその真っ当な試みが法務省やら金融庁やらの縦割り行政のおかげで骨抜きにされる可能性があるようです。

村と村人が小さな権益を巡って争っている場合ではないでしょう。

【リンク】

なし