わが国の法制度が、わが国企業の低収益性と資金余剰の原因

円高が悪いのか製品開発力が失われたのかー企業の収益力低下の要因はさまざまに語られている。しかし、金融庁出身の日本銀行理事、木下信行氏の目には、もっと根本的な別の原因が映っている。昨年12月に日銀金融研究所を通じ、個人的見解として発表した論文では、法的整理に踏み切りにくい制度も低収益性の一因だと指摘している。
(日経ヴェリタス2013年1月15日49面 日本経済研究センター主任研究員前田昌孝)

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「「利益率が低いのは現預金など収益性が低い資産を過度に保有しているせいだと、よく指摘される。木下論文ではその理由の一端を「法的整理の早期着手に向けたインセンティブ付けが弱いうえに、法的整理の開始前後における経営者や従業員に対する脅威の段差が大きいからだ」と指摘する。」
(前掲紙)

木下論文は、日本は制度上、法的整理の早期着手を促す仕組みがなく、法的整理に踏み切った後の経営者や従業員への脅威が大きく、したがって、これを回避するために現預金を過度に保有する傾向があると指摘します。

日本の事業再生に係る制度上の特徴として、米国及びドイツとの比較から次の点を挙げています。

(1) 再建型倒産制度の開始要件
アメリカでは、債務者の信義則が求め られるだけで、法律上は法的整理の開始について特段の要件が定められていな い。また、ドイツでは、要件として「支払不能、債務超過またはそれらのおそ れ」が定められているが、取締役には適時に法的整理を申し立てる義務が課さ れており、違反には民事責任のみならず刑事責任も課される。
一方、わが国においては、法的整理の開始要件についてドイツと同様の要件 が定められている一方、企業が債務超過に陥っていても、預金保険法で金融機 関について報告義務が課されていることを除いては、取締役による報告や手続 申立ての義務が存在しない。

(2)経営者に対する脅威
①DIP 型手続とプレパッケージ型の再建計画
経営者からみて、法的整理の開始に伴う第 1 の脅威は、自らの地位や経営の 主体性を失うことである。
この点については、アメリカでは、かねてより、チャプター11 において、DIP 型の手続が広く用いられており、プレパッケージされた再建計画も幅広く認め られてきた。一方、ドイツでは、開始時点では再建型と清算型を区別しない倒産制度が 1999 年から施行され、債権者の合意等の要件を満たす場合には、DIP 型の手続が認め られたが、裁判所による後見的な色彩が残り、広範な利用には至らなかった。 そこで、「企業再建円滑化法(Das Gesetz zur Erleichterung der Sanierung von Unternehmen)」により、債権者委員会を中心とする当事者主導のもとで、DIP型の手続やプレパッケージ型の再建計画の利用を拡大させる等により、企業再建を一層円滑にするための改正が行われ、2012 年から施行されている48。 これに対し、わが国では、2000 年代に入って、再建型倒産制度における DIP 型の手続が認められるようになったものの、なお、会社更生法における運用等 に課題が指摘されており、アメリカのようなプレパッケージ型の再建計画は認 められていない。
②経営者の責任
次に、経営者からみて、法的整理の開始に伴う第 2 の脅威は、再建計画の策 定の過程において、責任を追及されるおそれがあることである。
この点については、取締役の債権者に対する責任に関する会社法の定めが論 点となる。わが国では、取締役が故意または重過失により損害を与えた場合に は、債権者等の第三者が取締役に直接賠償を請求できるものと定められている。 また、その責任の内容については、自らの行為のみならず、従業員に対する監 督にまで及ぶとされている。
この制度を、アメリカやドイツと比較すると、法的整理開始前でも、債務超 過に陥った段階で取締役の債権者に対する責任が発生するか等の検討が行われ ている点は共通している。しかし、アメリカでは、取締役の対第三者責任の制 度が存在していない。一方、ドイツにおいては、取締役の対第三者責任の制度 が存在しているが、事業再生に関する取締役の責任については、わが国とは異 なる考え方がとられている。すなわち、ドイツでは、前述のように、企業が支 払不能または債務超過に陥ったときには遅滞なく倒産の申立てをし、支払不能 等に陥るおそれがあるときは直ちに調査する義務があり、取締役がこの義務を 怠った場合には、民事・刑事の責任を負う。実際にも、法的整理の申立てが行 われれば、検察当局が全件を審査しているとのことである。

(3)従業員に対する脅威
わが国においては、法的整理の開始に伴う従業員への脅威に関して、経常時 において厳しく規制される整理解雇等が容易になることが大きな意味をもつ。
アメリカでは、経常時においても、経営判断により整理解雇を行 うことが自由である。一方、ドイツでは、わが国と同様に厳しく整理解雇を規 制する「解雇制限法(Kündigungsschutzgesetz)」 が存在している。しかし、2003 年における抜本改正の一環として補償金解決制度が拡充された結果、法的整理 の開始の前後を問わず、補償金額の算定を通じて人員削減の必要性と雇用確保 の要請の間の調整を弾力的に行っていくことが可能となった。特に、被解雇者 の選定の公平性に関して、ドイツでは、法的整理に関し、従業員対応を迅速に 処理するための枠組みとして、社会計画(Sozial Plan)の制度が設けられており、 改正後の倒産制度のもとで、補償金解決制度と組み合わせることにより、公平 性を確保しつつ事業再生の可能性をより高めるような人員整理が容易になった ものとされている。

(4)わが国企業の財務に対する影響
わが国では、事業再生を巡る諸制度において、法的整 理の早期着手に向けたインセンティブづけが弱く、資金繰りさえ確保できれば 法的整理の申立てを回避できること、また、法的整理の開始前後における経営 者や従業員に対する脅威の段差が大きいままであることが、企業の財務に対し、 より多くの内部資金を留保させる方向の影響を与えているのではないかという 仮説を得ることができる。

事業再生に関する上記議論以外に、木下論文は、次の点を指摘している。
企業買収に関しては、投資家によるわが国企業の買 収が困難なため、買収圧力の欠如から多額の内部資金等の状況が温存されてい る可能性がある。
投資家の行動に関しては、株主が個別的利益を重視 する等により、収益性引き上げの圧力が遮蔽されている可能性がある。
市場法等のエンフォースメントに関し、その程度が弱いこと、規制当局に依存 していること、証券訴訟よりも株主代表訴訟が多用されることが、リスクテイ クを消極的にさせている可能性がある。

【リンク】

 

「わが国企業の低収益性等の制度的背景について Discussion Paper No. 2012-J-12」木下信行 [PDF]