利益偏重は悪か? その2

経営共創基盤CEO 冨山和彦氏 インタビューより
(日本経済新聞2008年12月10日4面)

【CFOならこう読む】

インタビューの中で、冨山氏は次のように発言しています。

-今回の金融危機で米国型の資本主義モデルは崩壊したのか
「米国は『会社は株主のもの』という規範やROEが高ければ高いほどよいという考え方を推進してきた。ただ利益はそう簡単に増えないので、資本をできるだけ小さくしてしまい、その結果、金融機関のリスクは膨らんでいった。こうした株主・ROE主義は一つの幻想だった」

私には冨山氏が何を言いたいのか全くわかりません。

リスクをとることを否定しているのでしょうか?
そうであるなら株式会社という仕組みも否定されなければなりません。

ファイナンスという学問が教える資産価格理論を否定しているのでしょうか?
そうであるならもっとロジカルに説明する必要があります。

私の敬愛するファイナンスの学者久保田敬一氏が今日の新聞で次のように話しています(14面 中央大学ビジネススクールの広告)。

「先日「世界経営者会議」で、ダートマス大学のタック経営大学院を卒業した経営者が「今の仕事に一番役立っているのはファイナンスだ」と話していた。企業戦略にはファイナンスというツールが欠かせない。例えば資本コストについて、組織で一つのものを使うかどうかとか、組織内の設定の摩擦はどういうものかというのは、まさに組織論である。また収益性と費用を顧客別、設備別、製品別に把握する管理会計の手法も戦略的な意思決定には重要だ。これは企業買収などで、資産を適正に評価する際にも役立つ。」

冨山氏の発言はこのような経営を否定するのでしょうか?
冨山氏はさらに次のように発言しています。

「長い目で見れば、10年ー20年に一度の頻度で起きる危機に備え、資本を手厚く持っておく意味は大きい」

手厚いとはどの程度でしょうか?
何によってその妥当性を測るのでしょうか?
無借金で余剰資金を貯め込む経営を良しとするのでしょうか?

この点、先日紹介した、「金融技術革新と金融機関の経営および規制」という論文の中で、ロバート・マートン氏は次のように論じています。

「リスク管理は伝統的に資本に焦点が絞られてきた。株主資本は、金融機関のリスクを吸収するためのクッションである。それは、あらゆる目的にかなうすばらしいクッションである。なぜだろうか。それは、経営陣が、予期せぬ損失の源が何であるかを知る必要がないからである。彼らは、損失の源を予測する必要は。なぜならば、資本によってあらゆる形のリスクに対し企業は守られるからである。そういう意味において、資本はあらゆる目的にかなうクッションであり、したがってリスク管理にとって大変魅力的である。われわれもよく知っているように、株主資本はまさにそういう理由で、費用が高くついてしまう。」

この後ロバート・マートン氏はデリバティブによるリスク管理の重要性について語っています。

冨山氏は伝統的なリスク管理手法に回帰すべきであると言っているのでしょうか?

 

【リンク】

金融技術革命